心からコロナ前に戻りたいと願ってます。私達以外にも多くの困ってる人がいると思うけど、今は他の人を構えるほどの余裕はないです。旦那のことも、結婚したことも、生まれたことさえも後悔するほど、こんなに心に余裕が無くなってしまうことに自分でもびっくりしています。今月には飲食店のパートも辞めなければいけなくなり、時間だけは無限にあるのに、やれることも、やる気も、新しいパートに応募することも出来ない。実家に帰りたいが母が東京にいる私がコロナなんじゃないかと信じてやまず、戻るだけでも気まずいです。どうしたらいいのかわからない中、なんかのニュースサイトでこのサイトみつけたので投稿してみます。お金は勿論ほしいけど、話し相手になってくれる人いたら是非連絡ください。このままずっと家いるだけで頭が張り裂けそうです。ローンのこと、家族のこと、この後に良いことが起こるわけがありません。
生活苦が続いて早8年。何とか生きてこれた。人生好転まであと少し。頑張ろう。私の人生別れ道となったのが25歳。小学校の頃の同級生と結婚し、働いていた飲食店から転職を考えていた。そのお店は皆の頑張りもあり売上好調、常連さんも多くいた。私のお店はオーダーバイキング食べ放題のお店。私が決めた店の方針は学校の様な学生さん達アルバイトの子が社会に出ても考える力を身につけ巣立つ、その為に接客という気付く気付ける仕事を通じて成長でき、自然な接客ができるお店にする事。それが=売上アップに繋がると思っていたからだ。皆の頑張りもあり、1年、2年、3年と店の売上は前期を毎年更新した。その立役者が料理長だ。私の無理難題、安くて美味い食べ放題という当たり前の中に存在するルール。安いモノを使って量を出す。それが私は配属当初から気に入らなかった。料理長に私は言った。料理の腕があるなら安いモノを使って高級店の味を出してくれ。見た目にもこだわった。皿は100均で買い揃えてあったものは全て撤去。初期投資という面目で社長を交渉し300万円分の皿を買い直した。若さもあったと思うが、料理長への信頼もあったので失敗するイメージが湧かなかった。有難い事にこの料理と接客が相まってお店は毎日お祭りムード。本当に楽しい空間だった。食べ放題のお店にサラリーマンが週3.4で1人で来店するのも日常だった。ただ店は良くなったが、私の給料は変わらず。転職をするしかなかった。ちょうどその頃料理長が独立して店を出したいと相談してきた。年齢は私の倍離れている当時51歳。一緒に来てくれと頼まれた。私は店長、相手は料理長。いきなり2人が抜けたら店とアルバイト達はどうなる。問答の末、時期を空けて後継を雇いながら引き継ぎが終われば手伝う約束をした。先に料理長が辞め、その1年後に私が辞める段取りだった。冒頭に話したとおり私は結婚したて子供も授かった。給料は同じかそれ以上は出すとの約束での転職だった。その1ヶ月後、料理長からある場所に来て欲しいと連絡が入った。私が伺った場所はあるビルの3階。着いた途端に料理長はいった。このテナントを契約したから、早く始めたい。私は一瞬何の相談もなく決めた事に呆れたが我に返り、テナントの賃料などを伺い事業計画を概算した。全然駄目だった。料理長の希望はイタリアン、単価は5000円、席数はとれて15席。1日3回転を満席にしてやっと損益分岐点。計画にすらならなかった。私は色々説得をしたが資金先は料理長の奥様が会社をしており、そこの別事業としてやるとの事で銀行も通してない為話が早く固まっていた。私は料理長に色々と人間的勉強をさせてもらっていた為恩も感じていた。だが私の人件費を賄える経営はできない。働けば働く程赤字になる経営の何が楽しいのか。料理長1人とパートくらいならば運営できる中身ではあった為、苦渋の選択をした。1年限定という事で営業時間中のみの手伝いとマネージメントのみを無給で受けることとなった。私は朝から夕方までバイトをし、夜は店の運営、接客をした。1年経って店は黒字化した。私は貯金も切り崩し生活苦になりそうだった為約束通り店を辞めた。ただこの1年の資金繰りが仇となりその後借金を抱え、友人からも金を借りては返しを繰り返し10年来の友達は皆信用を失った。27歳になる半月くらい前、本当に自殺も考えた。夜にコンビニに行っては近くの公園で1人2.3時間ふけっていた。死んでしまえば楽になるだろう。毎日頭の中でこのワードが繰り返す。それでも死ねなかった。嫁と子供はどうなる、金もない借金だけ残して死んだら俺が楽になるだけじゃないか。人生に一発逆転はない。一歩進んでもマイナスからプラスにはならないが、今いる場所より一歩はプラスに近づくはずだ。そう思って毎日解決しない問題を抱えながら今日まで生きてきた。借金を完済し、家を持ち、子供も2人目が産まれた。今私は33歳、あれから8年がたった。その間いつかお金に余裕が出来たらお金に困った人を救えるような会社をしたいと考え、色々な準備をした。あと1年あれば余剰資金を作れる予定だった。コロナの影響で転職を余儀なくされ今はまた借金はないものの、自転車操業で生活をしている。長かった8年を終わらすチャンスを逃した。あと数十万で報われる。私程度の人間に、そう何人も人を救えないかもしれない。でも家族、友人、関わる人、同じ経験をしている人くらい救える力が欲しい。世の中は金ではないが、国が紙幣をお金と定める限り手段の中にお金は必要だ。私の取り止めのない話を見てくれた方ありがとう、私は絶対に人を救える人になりたい。